二鶴堂「博多の女(はかたのひと)」は、発売33年を迎える博多土産菓子を代表するロングセラーヒット商品。薬師堂の馬油「ソンバーユ」は、今年、全国の口コミ化粧品ランキングサイト@COSMEで第一位に支持されたヒット商品である。商品の入れ替わりの激しい昨今にあって、時代を超え消費者に愛され続ける2つのヒット商品はどうやって誕生したのか?二鶴堂橋本由紀子社長と、薬師堂直江総一郎専務に、ヒット商品の誕生の経緯と、宣伝戦略を伺った。(平成18年1月27日対談記録)
博多の土産菓子銘菓"博多の女"誕生秘話。
昭和39年創業間もない当時の、二鶴堂従業員は約30人。経営を軌道にのせるため、沢山の支援者に助けられながら運営されていた。会社を応援する支援者は、取引企業から社員まで。その幅広い支援者が、まるで身内同然に創業者で橋本由紀子社長の父、故橋本富市前会長に協力した。橋本前会長は、そのような関係者に「成功して皆さんに恩返しができるように」との一念で、商品開発に情熱を注ぐことになる。その結果、誕生したのが銘菓「博多の女」だ。以来、33年間、ロングセラーヒットをとばす、博多を代表する土産菓子となっている。
馬油は薬師堂から全国に。"ソンバーユ"誕生秘話。
ソンバーユが誕生したのは、薬師堂創業者の直江昶会長が、創業のずっと前に大やけどしたことがきっかけ。巷では『馬の脂肪を塗ったらいい』という言い伝えがあり、実際に塗ってみたらやけどが治った。自身のこの経験がヒントになり、その後、馬油が日本で初めて筑紫野の薬師堂から誕生することになる。それが、全国に広まった経緯を直江専務はこう語る。「現在では、通信販売を中心に商品を全国販売しているが、販売方法が通販主体になったのは意図的ではなく自然な成行き。昭和45年頃から全国の百貨店では各地方の物産展を盛んに催すようになった。薬師堂は昭和48年頃から、物産展に出品を始めた。馬油がブームになるまでに実に10数年かかっているが、父、直江昶の秘策がなくては、やはり馬油は現在のような脚光を浴びることがなかったと思う。とにかく障壁は薬事法。この世に商品として存在しなかった馬油を商品化するためにはその商品価値を説明する必要があったのですが、効能は薬事法に抵触する事項ばかり。そこで父のとった秘策が無料サンプルなら何を言っても構わない作戦なんです(笑)。そうして、物産展で馬油を無料で手にしたお客様から商品化して売って欲しいといった問い合わせが入るようになった。物産展は、年に数回しかないから、遠方のお客様は『現金を送ったら売ってくれるか』という具合になり自然に通販になった」。
「利他共に」と「自然に任せて」
双方の商品には、共通して無理強い感や自分勝手な印象がない。銘菓「博多の女」は、恩に報えるような商品をとの純粋な気持ちからスタートし、国内旅行ブームなどの時代の運を味方に、あっという間に博多土産菓子として不動の地位を獲得する。
商品化された後の馬油「ソンバーユ」は成るがまま、あるがままに時の声を聴くといった印象を受けるが、機を読み時代を捉える感性には秀でたものがある事を、語りの中に感じる。
販売戦略は機を読み、経営者の広告センスで仕掛ける。
薬師堂の宣伝展開
薬師堂の販売戦略は、10数年前くらいまでは、どちらかと言えば全国指向だった。福岡県以外の全国各地、つまり外側から地元(内側)に、商品を浸透させていた。それを現在のように、地元に根付かせる戦略に打って出たのは、直江専務が広告を任されるようになった平成5年くらいから。
直江専務「物産展での宣伝営業だけなのに、現金書留が毎日100通以上くる。遠方で売れて地元で売れていない。だから逆にあぶないと思った。何の営業もせずここまで売れてしまうもの(ソンバーユ)は、何かが起こった時にあっというまに消えてしまうと。ただこれは入社当時の一時的な印象で、その後外側でも売れるということは商品力があるのだから、地元でも売れるに違いないと発想は転換されました。」
約10年前から、RKBラジオで地元への宣伝をスタートし、やがてタクシー広告との相乗効果が高まり、認知が地元に浸透していった。FM福岡にCMを入れ始めたのは最近のこと。FM世代が、商品ターゲットに近づいてきたため、とラジオの戦略についてはこう語る。
直江専務「ラジオでスポットを5年間もやり続けたら耳にやきついて『いつも流れてるよね』といわれる。最初はスポットを横にとり、週に3回一日2本×6本だったのを、縦どり提供にして週に一日だけ11本いれたら、毎日流しているように錯覚をうける。実際にやってみたら、案の定『毎日流れてますね』といわれた。予算は削減していたのに、リスナーの心理には広告が増えたと受け取られる。(番組提供を持つと、提供)クレジットが入るので(リスナーの)耳に残る。」
二鶴堂の広告戦略も大きく機を読んでいる。「良い商品は売れる。広告の役割は、売れる商品をもっと売れる商品にすること」と橋本社長は語る。その考え方は徹底しており、銘菓「博多の女」とメインをはる主力商品「博多ぽてと」の爆発的ヒットを生むことになる。
二鶴堂「博多ぽてと」のヒットの舞台裏
「博多ぽてと」は、3年前に日経(2002.8.31)「ヒットの方程式」でも記事紹介されたが、1997年の発売以来、毎年二倍のペースで成長し、一日あたり18,000個売れている。
橋本社長「売れない商品はいくら宣伝しても売れない。売れる商品をこれから伸ばすのが宣伝力。売れると言う市場の反響があった時、もっとこれ以上売ろうとする時に活用するのが宣伝力。」
その考え方は「博多の女」をロングセラーヒットに作り上げた経験に基づくだけあって、力強い。
直江専務「僕は博多の女は、小学校の時に聴いていた"博多の女よ〜♪"のテレビCMソングを覚えている。親戚の所に行く時に買っていっていた。」
橋本社長「そういう商品は長く続く。」
確かに、二鶴堂の広告戦略の上手いところはシンボル作り。シンボルを伝えるときに、どう人の心にささるのか。15秒という短い瞬間に、人々に記憶されるようなCMを作るには、フックとなるシンボルが必要になってくる。博多ぽてとで言うと「ぽてっと」(キャラクター"ぽてっと君"の決め言葉)の一言がターゲットの気持ちを掴んでいる。
直江専務「今後はどうしていく方向性か?」
橋本社長「広告はずっと明広。博多ぽてとをもっと伸ばすにはどうしたらいいかということで、宣伝を考えてもらった。企画競合の結果、明広の企画が一番よかった。最初はぽてっと君という商品キャラクターをつくりTVCMを作った。次にぽてっと君が幼稚園を巡り"ぽてっと体操"を広めてゆく。うちの場合は、土産市場なのに、なんで"ぽてっと体操"なのかというのは、子供に味覚の浸透ができれば、商品の30年先が見えるから。また、子供にぽてと(博多ぽてと)を食べてもらえれば、シックスポケットが動く。両親とそれぞれの祖父母が商品を購入する。ぽてとは、そこをターゲットにした広告戦略にしている。販売場所は、博多駅と空港と高速道路の土産店に絞って展開しているが、これでしっかりやっていける。広告のいろんなケースを勉強しているが、経営者の考えをぴっしゃり表すためには、相談できる専門家と優秀なブレーンが必要。広告を出しても業績に繋がっていかないのは、ブレーンに恵まれていないのかと思う。」
二鶴堂の商品は、売上高を稼げる商品である必要がある。販売形態が卸中心で、キヨスクなどの土産売り場に商品を置いてもらう必要があるからだ。
橋本社長「小売店は商品を入れ替えてゆくので売上至上主義。単品で一億売れないのは作らないようにしている。新製品を出しても一億切ったらやめるようにしている。」
それだけに、商品と宣伝は切り離せない関係であり、良い商品を伸ばすために戦略的に広告を使い分ける術とセンスを備えている。
ブランディングは、会社名を売るか、商品名でいくか。二鶴堂も薬師堂も「売ってるのは商品だから商品をブランドにしていく」との戦略をとっている。販売戦略は夫々ターゲットにあわせて考えられている。
商品づくり
直江専務「どこから発想して何をテーマに商品づくりをしてるのか。」
橋本社長「まずは思いつき。沢山考えて、その中で出来るのは月に一品。月に一品売り出して本当に当たるのは、年に一品。年に一品売り出しても一億売れないとやめる。結果残っているのが現在のもの。」
商品がある程度売れるとなったら、宣伝をかける踏ん切りは、会社の長としての勝負どころ。二鶴堂には、宣伝していないヒット商品もある。
橋本社長「たい焼きは宣伝してないけど、看板の打ち出し方で売り上げを伸ばした。一日で3339匹売る。」
たい焼きが売れるようになった裏話も面白い。
橋本社長「4年前、たい焼き屋の隣のスーパーがつぶれたので、債権者がうちの駐車場にどっとおしよせて車をとめて、お客さんがとめる場所がないということがあった。『社長、どうしましょうか?』と店長が言ってきたので、『駐車代の代わりに一人にたい焼き10匹買ってもらいなさい』と言った。すると、債権者がどんどん買ってくれて、とうとうその日は一日で3259匹売れた。それからギネスに挑戦しようということになり"日本一の次は、ギネスに挑戦!"と看板に書いた。その看板が客寄せになり土日は(一日当たり)3000匹軽く超えるようになった。たまたま近くに100年桜があるが、夜桜を見に来るお客さんを目当てに閉店を少しずらしたら、去年は3418匹と記録を更新。神崎町の町長に証明してもらってギネスに申請したがギネスから"たい焼き"は日本固有のもので世界的なものでないと却下された為、本当に世界進出しようと決意し、2008年に東京進出2012年にアメリカ進出を計画している。」
直江専務「社員の心が動きますね。それってものすごく大事だと思う。何かの目標を長が立てると社員はそれに向かって頑張る。ただし、その目標は頑張ったら達成できるところに置かないといけない。」
薬師堂の商品づくりは、受け継がれるものを大切に守りながら、時代にあわせて表現切り口を変えている。商品には、石鹸、シャンプー・リンス、保湿、スタンダードタイプの瓶詰め馬油などがある。馬油には、高い殺菌効果があると言われ、やけどだけでなく髪の健康や保湿にも優れており、ソンバーユが一つあれば、全身をケアできる。美容と健康にありがたい逸品。その商品価値を維持している企業のあり方を、直江専務のコンプライアンスの考え方の中に垣間見た。かいつまむと『ソンバーユの場合、商品の販売には色々なアドバイス等が伴う。お客様の事を第一に考えてとった行動や言動に対しては、何があっても社員を守ることができる。お客様が味方になってくれる。ただし、それが利己・利権的な自我から出た行為は、時に法にも企業理念にも反する』。長い歴史の中で、時代をふりかえれば、時の常識が通用しなくなる時もある。流行にふりまわされず、人として企業として変えてはいけないものを商品とともに守る。時代に動かされない確固たる信念の上に、ロングセラーヒット商品として馬油「ソンバーユ」は成り立ち、利用者の共感を呼んでいる。
和登「お互い二代目社長としての、継続と発展の共通の喜びと苦労の話に花が咲き、予定時間を大幅に過ぎてしまいました。同じ悩みを持つ経営者同志、ネットワークがどんどん広がりそうです。そんな企業の為に私共も何かお手伝い出来ればと願っております。」
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